バック・トゥ・ザ・フューチャー 主演のマイケルや博士のいまは!

ファンタジー映画

 

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バック・トゥ・ザ・フューチャーあらすじ

 

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーは、1985年アメリカで製作されたSF映画で、監督は、ロバート・ゼメキス。
ロバート・ゼメキスというと、フォレストガンプでアカデミー賞を受賞した巨匠です。
ゼメキスは、バック・トゥ・ザ・フューチャーでは、脚本も手掛けています。

映画の主役である男子高校生マーティ・マクフライを演じたのは、マイケル・J・フォックス。
マーティは、ムーンウォークを踊れるなど身体能力が高く、また「腰抜け」とからかわれると、急に怒り殴りかかってしまう短気な面もある役どころ。
そして、マーティの相棒となるドク役は、ミュージカル経験も持つ名優クリストファー・ロイド。

バック・トゥ・ザ・フューチャーは3部作となっています。
全てがつながりのある構成で、マーティとドクが、タイムトラベルしながら奮闘するというお話です。
1985年の物語としては、かなり画期的なSFファンタジー映画といえます。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの人気

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーが発表されたのは1985年と、貿易赤字などの影響でアメリカ経済が冷え込み始めた頃です。
経済が冷え込むと、どうしても社会全体が重苦しい雰囲気となりがち。

そんな社会環境下に、重苦しい雰囲気を拭うかのようなバック・トゥ・ザ・フューチャーが封切りとなります。
時間冒険といった非現実的で、ドキドキさせるエンターテインメント性の高いストーリーと、高揚感を増す音楽。
大人も子供も、バック・トゥ・ザ・フューチャーのとりこになりました。

バック・トゥ・ザ・フューチャーに熱中することをは「フューチャー現象」と呼ばれました。
今でも、フューチャー現象というと、バック・トゥ・ザ・フューチャーを連想する方も多いほどです。

ちなみにバック・トゥ・ザ・フューチャーは、グッズや音楽など、今でも様々なところに影響を及ぼしています。
とても有名な出来事としては、当時の大統領のスピーチです。

アメリが合衆国第40代大統領であるロナルド・レーガン氏は、映画公開の翌年である1986年の一般強書演説で、映画のセリフを引用します。
「我々がこれから行こうとする道には、道など必要ないのです。」
これは、若い世代に向け、アメリカ合衆国の未来を希望するための発言でした。

映画では、タイムトラベルする前のドクがマーティに向けて冒険の始まりを楽しむように言うセリフです。
それを活用する辺り、俳優出身の大統領のなせる業といえましょう。
大国アメリカの大統領に引用させてしまう、そんな社会現象となる影響力を持った映画だったのです。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの主演にマイケルが選ばれた理由

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの主演マーティを演じたマイケル・J・フォックスは、それ以前はテレビドラマを中心に活躍する俳優でした。
カナダ出身の彼は、15歳の頃から子役としてテレビドラマに出演し、アメリカでは比較的有名な俳優として知られていました。

そのドラマはアメリカでも有名なテレビ局で放送されていたものです。
テレビ局では、そのドラマに集中して欲しいということで、他の作品へのオファーを自粛するよう依頼していました。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの撮影が始まったのも同じ頃。
ですから、当初は映画も別の俳優が主演に決まり、撮影はスタートしていたのです。

しかし脚本の段階から、主演のイメージはマイケルだったそうです。
選んだ別の俳優で撮影をスタートさせたものの、どうも相性が良くないという結論になり、別の俳優は降板となってしまいました。
この映画には、やはりマイケル・J・フォックスしかいないという結論に至ったのです。

様々な交渉の結果、晴れて彼がマーティ役に選ばれて映画は作成されました。
そんな、熱望されたマイケル・J・フォックスの影響もあって、この映画は非常に人気を博すことになるのです。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーマーティを演じたマイケルのその後

 

マーティ役を演じたマイケル・J・フォックスのバック・トゥ・ザ・フューチャーのその後はどうなったのでしょう。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは1985年、
そしてその続編のバック・トゥ・ザ・フューチャー2は1989年、
更に続編のバック・トゥ・ザ・フューチャー3は1990年に公開されています。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの世界的人気によって、マイケル・J・フォックスは、その後世界的人気俳優へと躍進します。
映画やテレビドラマにひっぱりだこで「摩天楼はバラ色に」「スピン・シティ」など数々の作品に登場します。
1989年には日本の車のCMなどにも登場し、愛らしい笑顔で多くの日本人ファンを獲得しました。

この映画の上映と同時期の1988年、マイケルはアメリカ女優のトレイシー・ポランと結婚し、1男3女に恵まれます。
しかし、実は彼は30歳でパーキンソン病を発症していました。
1990年頃にはその兆候があったということです。

パーキンソン病は、進行性の神経変性疾患で、少しずつ運動障害を起こすものです。
最初は手や足の震え、歩行の困難といった症状が出ます。
比較的40歳以上の中高年が発症し、進行が進むと、自力歩行が難しく寝たきりになってしまう病気です。

実はパーキンソン病を発症したと公表したころ、人気俳優の彼は自身が手掛けていたテレビドラマに出演中でした。
しかし病気の進行により、ドラマ出演が難しくなり、2000年にはドラマを降板し、第一線の活動から退きました。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーマイケル死亡説

 

マイケル・J・フォックスは、1991年ころからパーキンソン病を発症し、1998年に自身の病状を公表しました。
パーキンソン病は、運動障害を生じる病気です。
歩行が困難になり、様々な弊害も生じうるもの。

2000年にはドラマを降板し、俳優として第一線から退いています。
アニメ映画「スチュアート・リトル」など声優としての活動は行っていましたが、表舞台にその姿を見せなくなったマイケル。
病気を公表し、急に表舞台から消えてしまったマイケル・J・フォックスには幾たびかの死亡説が流れます。

しかし、実際はマイケル・J・フォックスは存命です。
病気と闘いながら、パーキンソン病の研究助成活動や財団を立ち上げるなどの活動を続けています。

そのほか、2006年には自身の自伝「ラッキー・マン」を発表したり、2010年バンクーバーオリンピックでは閉会式で元気な姿を見せました。
2010年から障害を持つ役どころを演じるなど、自身の病気と向き合いながらも、近年も俳優業を続けているのです。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャードク役のクリストファー・ロイド

 

方、マーティの相棒役ドクを演じた、クリストファー・ロイドは1938年生まれ。
クリストファーは、もともとブロードウェイでのミュージカル経験をもつなど、実績のある俳優です。
名優ジャック・ニコルソン主演の名作カッコーの巣の上にも登場するなど、幅広い映画でも活躍されていました。

そんな彼はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドク役によって、日本を含め世界的な有名俳優になります。
1990年前半に人気を博した「アダムスファミリー」シリーズで、フェスター・アダムス役として登場し、人気を集めました。
クリストファーは、バック・トゥ・ザ・フューチャー作品の後も、ロバート・ゼメキスの映画に多く登場しました。

近年は高齢となり、出演作品自体は減りましたが、サービス精神の旺盛な彼は今なお健在です。
マイケル・J・フォックスと共に、バック・トゥ・ザ・フューチャー劇中でタイムトラベルした日である2015年10月21日にショーへ登場し、
デロリアンから降りて、時代の変化に驚くマーティとドクを演じています。

 

まとめ

 

人気を博す映画というのは、その出演する俳優の人生をも変えてしまう場合が多いもの。
主演のマイケル・J・フォックスも、この映画によって一躍世界的スターとなりました。
病気の発症という困難にめげず、彼は今も現役の俳優として活躍しています。

また博士役を演じたクリストファーも、その巧みな業で様々な映画に出演し、華々しく活躍しました。

若き日のマイケル・J・フォックス、そしていつまでもドクのように若々しいクリストファー・ロイド。
この魅力ある2人の俳優によって、あの伝説的映画バック・トゥ・ザ・フューチャーは生み出されました。

バック・トゥ・ザ・フューチャーが発表された時代は、経済の不安定さから多くの人が明日への希望を失いかけていました。
それをとりもどし、新たなムーブメントを起こすきっかけとなったのがこの映画といっても過言ではありません。

映画では、マイケルが演じたマーティに、クリストファー演じるドクが、
「君たちも、いい未来を創りたまえ」
と言って走り去るシーンがあります。

大人がワクワクする、そんなフレーズをたくさんもったこの映画は、そんな彼らの飛躍を感じさせる映画となっています。

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