デヴィ夫人の年収はどこから?実は石油事業の社長さんだった!

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相方は出川哲朗?デヴィ・スカルノの活躍

近年、元気なシニア層が増えています。

それはテレビ業界でも言えること

 

かつて1国の大統領夫人であったのに

80歳となった今、タレントとしてブレイクしている女性

デヴィ・スカルノもそんな人の1人といえるのではないでしょうか。

 

世界中に行って様々なアクティビティに挑戦する

某バラエティー番組では、ほぼレギュラーとして

毎回、様々なチャレンジを見せてくれます。

 

スカイダイビングやジャングル探検など、

その果敢なチャレンジ精神は

とても80歳を迎える女性とは思えません。

 

さらに歯に衣着せぬ物言いで

若いタレントにズバズバと口撃し、

その好戦的な姿勢は、時に観ているこちらがハラハラさせられることも

 

なによりお笑い芸人の出川哲朗とは

まるで芸人としてコンビを組んでいるのかと感じさせるほど

息の合った掛け合いを見せてくれます。

 

今やデヴィ・スカルノをテレビで見ない日はない

そういっても過言ではないほど

彼女の活躍は、大変顕著です。

デヴィ・スカルノ夫人の豪華な生活

ただただ元気でチャレンジ精神が旺盛な80代女性

というだけなら、デヴィ・スカルノ夫人は

ここまで注目されることはなかったでしょう。

 

豪華なドレスや宝石など、

多くの財産を持つセレブにもかかわらず、

どん欲に様々なチャレンジスピリッツを見せてくれる

 

加えて応戦的で、

大人しく一所に留まっているような

お飾り的存在ではない

 

奇天烈な個性と、超がつくほどの天然気質

そんな唯一無二の存在感が相まって、

彼女の魅力となっているといえるのではないでしょうか。

 

テレビでの活躍が目立つ一方、

世界的なセレブたちとの交流も多く

パーティなどに参加する機会も多いのだとか

 

都内の一等地の瀟洒な住まいに暮らすデヴィ・スカルノ夫人

所有する宝石やドレスも多く所有し

今なお、セレブな暮らしを続けています。

 

しかし、テレビの活躍があったとしても

何故、デヴィ・スカルノ夫人は、

そんなにリッチな生活をしているのか

 

タレント業だけで、多くの資産を持ち続ける

そんなことはできるのか

そんな疑問を持った方も多いでしょう。

タレント業だけでない!実業家としての顔も

実はデヴィ・スカルノ夫人は、ただのタレントではありません。

むしろ、彼女の経歴を見れば

タレントは彼女にとって、遊びの1つのようなものかもしれません

 

デヴィ・スカルノ夫人は、タレント業以外に

NPOアースエイドソサエティの総裁

株式会社デヴィーナ・ソサエティーの代表取締役という顔も持っています。

 

NPOアースエイドソサエティとは、

政治の犠牲者となる難民を救済する

という目的を持ったNPO法人です。

 

また株式会社の代表取締役にも就任など

デヴィ夫人は、タレント業以外に

実業家でもあるのです。

 

加えてこうした肩書以外にもデヴィ夫人は、

その経歴から様々な事業に関係しており、

こうした経緯からセレブな生活を行えるだけの財力を持っているようです。

石油事業の社長としての顔も持つ

デヴィ夫人は、株式会社の取締役や

NPO法人の総裁以外にも、

もう一つの顔があると言われています。

 

それは、石油事業の社長としての顔です。

石油は、世界中で様々な工業のエネルギーとなるだけでなく

私たちの文化的な生活を支えているもの

 

いわば世界中が求める資源です。

しかも、そんな石油は何処でも採れるわけではなく

産出国は、限られている。

 

世界の経済大国は、石油以外のエネルギーを模索しつつも

今なおそれに頼らなければならないほど

大変重要な資源で、その価値は大変大きなものです。

 

石油産出は国家の一大事業と捉えている国も多く、

その中には、デヴィ夫人がかつて嫁いだ

インドネシアも含まれています。

 

実際、デヴィ夫人は

1980年にインドネシアにおいて

石油事業にも取り組んでいるのです。

デヴィ夫人激動の半生

デヴィ夫人が石油事業に取り組んだとされる

1980年頃は、彼女はもう

大統領夫人ではありませんでした。

 

にもかかわらず彼女は

インドネシアのため、

石油事業に着手したと言われています。

 

デヴィ夫人は、ご存じの方も多いでしょうが

日本生まれの日本国籍

根本家の長女菜保子として、東京で生まれています。

 

幼少期より大変な美貌を持っていた彼女

ご実家は裕福ではないものの大変優秀な成績だったこともあり、

名門高校に進学したそうです。

 

しかし高校時代に、

父親が他界し、家計が苦しくなったため

彼女は、高校を中退して高級クラブで働くように

 

1959年、19歳の彼女は知り合いに頼まれて

当時国益だったインドネシアの開発援助に参加します。

そしてそこで当時の大統領だったスカルノ大統領と出会います。

 

インドネシアは、イスラム教徒の国

そしてイスラム教は一夫多妻制を容認しています

スカルノ大統領には、先に妻がいましたが第3夫人として2人は結婚

 

根本家からインドネシア大統領夫人となった彼女は

そこで根本菜保子からデヴィ・スカルノへとなり

インドネシア国籍を取得し、インドネシアで暮らし始めました。

 

しかし結婚から3年後、

スカルノ大統領は軍事クーデターで失脚

当時、妊娠中だったデヴィは日本へ

 

出産後は夫のいるインドネシアに戻れず

フランスに亡命していましたが、

その間に、夫は死去

 

さらにはクーデターによって

失脚した大統領の遺産も得られない

苦難の日々のなか

 

しかしそんな苦難のなかでも

かつて高級クラブでも注目の的だった彼女は

フランス社交界でも華と呼ばれる程になります。

インドネシアのために

デヴィ・スカルノというと大統領夫人の第3夫人

そのイメージが強いのですが、

そもそもインドネシアへは、国益を理由に渡っていました。

 

開発事業という名目ですが、

石油産出が見込めるインドネシアは

日本の将来の国益を見越すと、大変有利な環境です。

 

当時の大統領スカルノも、親日家であったため

日本の経済界では注目された土地でした。

 

根本菜保子は、そのインドネシアの国益を向上させ

日本とインドネシアの将来に続く有用な関係

この樹立のためにインドネシアに派遣されたとも言えるのです。

 

それがスカルノ大統領との結婚という形になり

大きく発展するかと思いきや

スカルノがクーデターで失脚

 

しかしフランスに亡命したデヴィ・スカルノは

そもそもインドネシアに渡った

従前の志を貫いていたのでしょうか

 

フランスに亡命し、社交界の華にまで昇り詰めていたデヴィ夫人は

1980年、再びインドネシアに戻り、

石油事業に着手するのです。

 

当時のインドネシアは、夫を失脚させたスハルト政権下

日本政府も味方してくれないまさに四面楚歌の中

デヴィ夫人は単身、事業に乗り出しました

 

こうしてデヴィ・スカルノは、

石油事業の社長

の顔も持つようになったようです。

まとめ

デヴィ・スカルノは、その後

1991年にニューヨークに転居するまでの11年間、

逆境ともとれるインドネシアでの環境で石油事業に携わりました。

 

石油事業といえば、一山当てれば一生生活に困らないとも言われる事業

ニューヨークに渡ったときに、

その事業の第一線から退いたそうです

 

第一線から退いたとはいえ、石油事業の社長

今の彼女のセレブ生活を見れば

その石油事業が、どれだけすごい事業なのか窺い知ることができます

 

しかし、それよりもすごいのは

様々な逆境を耐え、乗り越えるデヴィ・スカルノの存在感

石油よりも貴重な存在なのかもしれません。

 

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