火垂るの墓の放送禁止いつから?なぜ?観る方法はこちら!

邦画

ジブリ不朽の名作「火垂るの墓」

スタジオジブリには、不朽の名作がたくさんあります。

その中でも、とくに涙無くしては観られない

そんな映画が「火垂るの墓」

 

野坂昭如の同名短編小説を

当時スタジオジブリの

高畑勲監督が映画化したもの

 

戦争が激化した日本で

荒廃した人々に翻弄される

戦争孤児の切ない程、愛らしい生き様

 

視聴した多くの方が

ハンカチなしには見られない

そう語る程の悲しいラスト

 

戦争の恐ろしさ

そして戦火に荒ぶ人の心など

教訓となるべき個所の多い戦争映画とも言われています。

戦争を少年の目から見た悲しき映画

 

火垂るの墓は、終戦間際の日本が舞台です。

戦争が激化する最中、急激に変化する世間での

戦争孤児の末路を描いています

 

清太の父親は、日本連合艦隊に所属する軍人

出兵した父の代わりに、清太は神戸の自宅で

母と妹の節子を守りながら、3人で慎ましく暮らしています。

 

 

昭和20年6月、神戸大空襲が発生

空襲によって、清太の家は全焼します。

しかも、逃げ遅れた母親が大やけどを負って亡くなるのです。

 

4歳の妹節子と共に、

兵庫県西宮にある

叔母の家に身を寄せる清太

 

戦争の激化などから

人々の心はすさみ、

互いを労わる心を失い始めたころ

 

当初は共同生活を行えた叔母も

次第に清太や節子に嫌味な態度を取るようになり

家に居づらくなってしまいます。

 

ある日、叔母と口論となった清太は、

母の残した貯金を元手に

節子を連れ、貯水池近くの防空壕に身を寄せます。

 

しかし貯金も底をつき、

食べるものに窮してしまいます。

 

栄養失調に陥る節子のため、

清太は空襲の際に、火事場泥棒をしたり

近所の畑で野菜を盗む日々を繰り返します。

 

しかし、14歳の清太には術がありません。

次第にやせ細っていく節子

そしてある日、川辺で倒れている節子を見つけます。

 

慌てて病院に受診させると、栄養失調と診断

「精のつくものを食べさせなさい」

そう言われ、買い物に出かける清太

 

そこで戦争が終わったこと

そして父親が所属する連合艦隊が

壊滅していたことを知ります。

 

打ちひしがれ貯水池横の防空壕に戻る清太

しかも、節子の容態は日に日に悪化し、

終戦から7日後、清太の腕の中で節子は亡くなります。

 

節子を荼毘に付し、

その遺骨を生前大切にしていたドロップ缶にしまい

三ノ宮駅で浮浪児となる清太

 

清太も栄養失調を患い、孤児として三ノ宮駅前で死亡します。

ちなみに火垂るの墓は、

ファーストシーンが、そんな清太の死から始まります。

 

清太の亡骸からは、ドロップ缶が零れ落ちます。

駅員はそれを見つけ、

無造作に駅前の草むらに放り投げるのです。

 

放り投げられたドロップ缶の蓋は外れます。

そして、中から節子の白い骨が飛び出します。

 

ラストシーンでは、蛍の光のもと、

清太と節子の魂が、神戸の高台から

復興していく街を見守るという形になっています。

火垂るの墓が放送禁止?

戦争の悲惨さ、そして孤児の悲しい末路

火垂るの墓は、作者野坂昭如の

反戦の思いが多分に込められています。

 

映画火垂るの墓は、

1988年に発表された作品です。

翌年には、テレビ放映される程の人気作品でした。

 

しかし、そんな火垂るの墓

2009年から2013年まで

放送禁止されていた時期があるというのです。

 

火垂るの墓は、戦争の悲惨さを後世に訴えるために

毎年のように8月15日の終戦記念日前後には

放映される作品でした。

 

それが2009年からの4年間

全く放映されていない

そんな時期があったのです。

 

火垂るの墓が放送されない理由とは

 

2009年から2013年まで、

テレビ業界では、ほぼ全くと言っていいほど

火垂るの墓が放送されませんでした。

 

それはなぜか

放送禁止と言われる理由のひとつに

反戦に対する世論の違いが挙げられます。

 

1945年8月15日、

日本はポツダム宣言を受諾し

太平洋戦争での敗戦を宣言しました。

 

戦後、日本では

太平洋戦争は、間違いであり戦争そのものが犯してはならない行為として

憲法でもそれを禁止する規制をしました。

 

それから70年余りが過ぎ、

世界的に見ても、戦争をしない国として

稀な存在となった日本

 

ところが、近年では

その戦争に対し

考え方が少しずつ変化しています。

 

戦争そのものは、確かに多くの人の命を奪う恐ろしいもの

しかし、起きうる状況など

戦争そのものの対する価値観が変化しているのです。

 

そのため、火垂るの墓は、

新しく変化した戦争に対する考え方と違うものとして、

論争を呼ぶおそれがあるとされ、放送が自粛されていたというのです。

 

視聴率低下も原因?

こうした戦争に対する考え方の変化に加え

火垂るの墓の放送時の視聴率

それも大きく低下しているというのが原因の一つに挙げられています。

 

メディアが多様になり、

テレビだけでなく、YouTubeチャンネルなど

視聴するメディアは増えています。

 

その影響か、近年では

テレビでの映画放映時

その視聴率が大きく低下しています。

 

1990年代、火垂るの墓の放送時には

最大20%を超える視聴率だったものが、

2007年には7パーセントまで低下しました。

 

これほどまで大きく低下した視聴率により

テレビ業界では

火垂るの墓を重用しなくなった可能性が高いようです。

 

重要なシーンが影響?

 

もう一つの放送禁止と言われる理由があります

それが火垂るの墓で

重要とも言えるドロップ缶のシーンです。

 

実は、このドロップ缶のメーカーで

その商標登録を巡り

訴訟が起きていました。

 

映画では、明確に社名が登場することもあり

訴訟に配慮して

映画が放送されていなかったという噂も浮上しています。

 

ただし、こちらの噂に関しては

直接、放送禁止を命じられたわけではないため

テレビ側の配慮からという可能性が高いようです。

 

まとめ

映画火垂るの墓は、不朽の名作と言われています。

映画化した高畑勲も、作者である野坂昭如も

亡くなられましたが、作品は今なお残っている。

 

戦争に対する考え方への変化はあれども、

こうした悲しい末路を迎える戦争孤児が生まれる

それは戦争における事実であることを描いています。

 

放送がなされなくなったことで、

放送禁止やその原因といわれる噂も浮上していますが、

DVDでの視聴など、観る機会すべてが奪われているわけではありません。

 

また、近年ではテレビ以外のメディアでも

過去の名作を放映するチャンネルも増えており

火垂るの墓を観ることのできる環境は以前より増えているともいえるのです。

 

今一度、この機会に

火垂るの墓をもう一度家族で見て、

戦争について考えてみる機会にしてみてはいかがでしょう。

 

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